空き容量

断捨離はマメにしてきたほうなのですが、毎度毎度の理由というのが、

「私がこの世を卒業したとき、
娘たちがいかにシンプルに
片付けに取り組めるか。」

これに尽きるのです。

ダンボールにすると7箱程でしょうか (え‥多いかしら!)

夫には「こういうの、やめなさい。」と言われますが、その時を迎えたら、きっと何もしませんから夫。期待していません笑

ところが。私の思いとは裏腹(?)に、これから本腰入れて新しいことに取り組む人生の節目が、断捨離したくなるタイミングのちょっぴり後にやって来ます。よくよく思い返せば、いつもいつもそう。

私にとっての断捨離は「サヨナラありがとう〝これまでの私〟。」を無意識に、ですが次第に意識化して手放してゆくような、儀式みたいなものということでしょうか。

そして心機一転「どうぞよろしくね〝新しい私〟。」と共に、これから積み重ねてゆくのに必要な、真っ新な空間を準備していたのかもしれません。変化を受け入れて、これまでにない経験をたくさん集めるのですから。空き容量がなければ、最悪フリーズしちゃいますもの。

まあフリーズするにも、ちゃんと意味があって、そこからの気づきを得られるものです。てんやわんやしている最中は余裕すら生まれませんが。それさえも必要な経験となります。

気づきは宝物です。

こうして一連の流れを整理整頓してみると「自分ってわかりやすいな。」そう思います。

断捨離→近日中に節目を迎える→
断捨離→近日中に節目を迎える→

なんて単純に出来ているんでしょっ。

必要がなくなった〝イロイロ〟を手放してみると、本当に大切なものが何なのかハッキリと見えてくるもので。

どんなにそれを手放そう!消し去ろう!何なら消えてしまえ~っ!と願っても、消えない。全く消えてくれない。・・というものが私にはあったのですが。

ああそうか‥消すなんて心にもない幻想‥。そうなの。わかっていたはずなのに。

3次元的な理由を並べては、自ら苦しみを産み出していた訳です。〝在る〟のですから、それで好いのですね。

さまざまな感情を削ぎ落として、たったひとつ残ったそれは〝無〟です。無が〝在る〟とは、なんて心地好い。在って〝無〟とは‥「どっちがどっち?」みたいな言葉のゲームのようですが。私にとってそれは大切な感覚‥としか言いようがありません。

魂は純粋です。自由です。

そういう生き方が好きなのだワ。

好きと言えば‥最近お気に入りのブロガーさんが紹介していた藤井風さんの「帰ろう」という歌がとても好き。