極限の向こうに在る光に手を伸ばす

どれくらい以来でしょうか・・
体調不良でダウンしていました

若い頃とは違って
身体に堪えますね

普段職場で小学生と走り回っているとは言え
身体は正直です^^;

今週いっぱい
おやすみをいただきました

子どもの頃から
風邪を引いても
転んで膝小僧を擦りむいても
母に叱られました

「風邪をひいちゃいけないんだ。」
「走って転んで、怪我なんかしちゃ駄目なんだ。」

「苦しくても痛くても、我慢しなくちゃ。」

子どもは

だって我慢しなくちゃ“嫌われてしまう”
だって我慢しなくちゃ“愛してもらえない”
そう捉えてしまうんです

なんとまあ極端な!と思いますが

子どもにはグレーゾーンがありません
「0」か「100」なのです

「1」から「99」は
成長の過程で
経験を通して学んでゆきます

その学びに寄り添うのは
子どもにとって1番近くに存在する大人です

私の母は
どうして風邪をひいたら怒るのか
どうして怪我をしたら怒るのか
“どうして”の気持ちを伝えませんでした
いつも一方的な感情をぶつけていました

私は三姉妹ですが
母にとって毎日の育児は大変だったと想像出来ます

人には感情がありますから
その日その時の気分によって受け止め方にも変化があります

泣いている我が子を見たくなかったのかもしれません
これ以上手を焼かせないで!という気持ちがあったのかもしれません
仕事をしていましたから
時間にも余裕がなかったのかもしれません

これまでの家族の在り方を思い返してみれば
さまざまな想像が出来ます

それらは
自分にとっての「1」から「99」である
グレーゾーンを経験した「今だから」想像できるのです

大人になった私は理解が出来ても
子どもの頃の私は
極端に偏る“愛されていない”を信じて
「未だそこに在り続ける」のですね

これが「インナーチャイルド」という存在です

39度前後の高熱は
それはもう辛くて^^;
「私は大丈夫よ!」だなんて
家族に心配かけない余裕はひとつもありませんでした
ウーウー唸りながらベッドに潜り込むなんて経験は初めてだったんです

その辛さの向こう側には光がありました

意識が朦朧とする最中

『苦しくても「苦しい。」って言えなかったよ』…とか
『痛いのに「痛い。」って言えなかったよ』…とか
子どもの頃の不安な声が
お腹の奥のほうから響いてきたんです

苦しみと痛みから逃げ出したいのに
現実では乗り越えるしかない極限の精神力によって
耳を傾けてあげられたのかもしれません

それじゃ思う存分
「苦しい」も「痛い」もいっぱい言ってやる!
そんな気持ちでした
実際夜通し言ってました笑

自分の側に居てあげられた
与えることが出来たことに
未完了の感情を抱えたままの子どもの自分と
そして大人になった自分が
ようやく安心出来たんです
ようやく折り合いをつけてひとつになりました

苦しかったら「苦しいよ!」って言ってもいい
痛いなら「めっちゃ痛いんですけど!」って言ってもいい

唯一の自分が聞いてあげられなくて
誰が耳を傾けると言うの?

てんこ盛りじゃん!と言うくらい
私はインナーチャイルドを抱えています
手放したものも在れば
未だとらわれているものも在ります

インナーチャイルドは
何パターンも在り
しかも重複していることが多いです

自らインナーチャイルドセラピーによって
私は重複していることを認識しているのですが

認識しているとは言え
自分自身が受け入れ認めてあげるまでは
自分に影響を与え続けることになります

受け入れようとしても
思い癖というのがありますから
簡単ではないのかもしれません

これ
誰のせいでもないのですね^^
良いも悪いもありません

気づいた自分が
ただただ受け止めるんです
終わらせるんです

ところで
発熱当初
解熱作用に期待出来るユーカリを試しましたが

今日の今日まで
小瓶が枕元に放置状態

香りが受け入れられませんでした^^;

こもった熱は「怒り」の感情だったのでしょうね
出し切る必要がありました

浄化作用だったんですね