唯一許したかった存在

新年度がスタートしました

春休み中は
怒涛の数日間を過ごしましたが

これからの生活に慣れるまでは
目の回る毎日が続きそう

色々な意味で流れが整うことを願って
今はその瞬間に向き合う日々です


最近子ども達に
「先生厳しくなった。」と言われることがあって

そうかな・・と思い返せば
確かにそうだわ・・と
納得なんです

「この人には怒られることはない。」
「何をしても大丈夫。」
そう思われていたのを知っていました

今に限らず
これまでの人との関わりもそうだったと思います

根底には
「嫌われたくない。」
という「孤独」を恐れる感情が見え隠れしていたにも関わらず
見て見ぬ振りしていたんです

「何故私は自分を表現出来ないんだろ。」
「私が私じゃないみたい。こんなの私じゃない。」

そう思うのは当然と言えば当然ですよね
だって
本来の自分に蓋をして
別の人格を演じていたようなものですもの

いい人のフリは
疲れます笑

ところが
インナーチャイルドと向き合い
自分軸を生き始めると
「伝える必要があるから伝える」が
出来るようになって

先日の記事にも書いたような
『「自分」が何処にもいない』という
宙ぶらりんな感覚が消えたんです

この変化と共に
これまでの状況も変わって行くのだろうなと
感じてはいましたが

そんな私を感じ取って
いつも側に居たのに離れて行った子がいます

「この人には怒られることはない。」
「何をしても大丈夫。」
私がそう思わせてしまった子達です

私はこの子達に教えられたんですね
「変化すると状況は変わる。」
「変わろうと意識したら、いつでも変われる。」
ということを

子どもから伝えられる
言葉のないメッセージは
大人から言葉で伝えられるより
ダイレクトです

先に書いた
恐れの感情に対して『見て見ぬ振りしていた』ですが・・
フッと記憶がよみがえり
今気づいたことがあります

以前の職場での現状を
見て見ぬ振りすることが出来ず
公的機関に投書したことがありました

今だから理解できます
あの現状は
私自身の心に起こっていたことそのものでした

あの場に居たどの人も「自分」だったんです

あの人は「あの時」の自分・・
この人は「もっと以前」の自分・・
魂の経験値によって記憶に在る全ての「自分」という認識で
「自分」を感じるのです


自分が自分を「見て見ぬ振りしていた」

自分を大切に出来ない「自分」に
怒りを覚えていたのですよね

そうして
頑なに拒絶しながらも
唯一許したかった存在

それは
「自分」でした