魂が真実に触れると涙がこぼれる

季節の中で
春が大好きです

お日さまの香りとか
土や植物の香りとか
と言うか・・香りフェチでしょ笑


春生まれではありませんが
名前の一部に「はる」がついており
春生まれではないからこそ
「春」という漢字を控えたのでしょうか?・・
何故だか最もらしい由来は曖昧に濁されています
・・濁す必要あるかしら笑

子どもの頃
自分の名前を書くとき
敢えて「春」の字を使っていました

小学校に入学したての頃
買ってもらったばかりの筆箱に
油性ペンで「春」の字を書いたのは
簡単に消えないことを知っていたから・・
何とまあ大胆なっ

「あなたの名前はこの字を使わないのよ。」
そう諭されても
教科書や答案用紙にも書き続けましたが
拘り続けた理由は
当の本人にも分かりません笑


拘りはたくさんあった子でしたが
何がなんでも信じ続けたことがありました

まだ小学校に上がる前
物心ついた頃です
「私は双子なんだ。」
そう信じて疑わず相棒を探していたことです

生き別れの双子のきょうだいがいた訳ではありませんよ^^;
“知っている”という感覚を信じていました

探しても探しても何処にも居なくて
仕方がないので
妹を双子に仕立ててみましたが
「偽物だ。」と諦めるんです
それでも諦めきれなくて
何度も妹に身代わりになってもらいましたが・・
妹にしてみれば迷惑な話ですね笑

お隣に住んでいた幼馴染の女の子にも
双子になってもらいました
幼馴染はこの「ごっこ遊び」が気に入っていた様子でしたが
私は「ごっこ」ではありませんでしたから正直しっくり来ず
誘っておきながら「まだ妹の方がいい。」と思っちゃったりして
ほんと失礼な私で「ごめんなさい」ですよね汗

究極は
地面を歩く虫を見つけて双子にしたことです
てんとう虫に遭遇した日は
いつにも増して胸が高鳴りました
手に握りしめてブランコにも乗りました
当時は建物が低く虹がよく見えたんですが
「相棒」を握りしめて虹を追いかけたこともあります

弱っていく虫に気づいて
草むらに逃がすことにしましたが
「やっぱり違った。」
と悲しくなったことを覚えています

幼いとき程
魂の記憶は鮮明です
「約束」を忘れてはいませんでした

約束通り
会えると信じていました

なのに
何処にも居ない

だから探したんです

純粋に
会いたいから
会えるのを楽しみにしていたんです

けれど
成長と共に
たくさんの情報に上書きされ
すっかり埋もれてしまって
双子の相棒探しを忘れてしまいました

ところで

私は虫が大の苦手で

あの頃よくぞ
虫を握りしめて遊べたなあと
思い出してもバクバクしちゃいます汗

「相棒のせいで虫嫌いになったのよっ!」
とは言いませんが笑

子どもは純粋ですが
残酷でもあります
これって罪悪感かもしれません

真実に繋がる
大切な記憶

私は
覚えていたんですね

そして
これを綴りながら
涙がこぼれてしまいそうなのです

点と点が結ばれて
魂が喜んでいる涙だということを
知っています

唯一許したかった存在

新年度がスタートしました

春休み中は
怒涛の数日間を過ごしましたが

これからの生活に慣れるまでは
目の回る毎日が続きそう

色々な意味で流れが整うことを願って
今はその瞬間に向き合う日々です


最近子ども達に
「先生厳しくなった。」と言われることがあって

そうかな・・と思い返せば
確かにそうだわ・・と
納得なんです

「この人には怒られることはない。」
「何をしても大丈夫。」
そう思われていたのを知っていました

今に限らず
これまでの人との関わりもそうだったと思います

根底には
「嫌われたくない。」
という「孤独」を恐れる感情が見え隠れしていたにも関わらず
見て見ぬ振りしていたんです

「何故私は自分を表現出来ないんだろ。」
「私が私じゃないみたい。こんなの私じゃない。」

そう思うのは当然と言えば当然ですよね
だって
本来の自分に蓋をして
別の人格を演じていたようなものですもの

いい人のフリは
疲れます笑

ところが
インナーチャイルドと向き合い
自分軸を生き始めると
「伝える必要があるから伝える」が
出来るようになって

先日の記事にも書いたような
『「自分」が何処にもいない』という
宙ぶらりんな感覚が消えたんです

この変化と共に
これまでの状況も変わって行くのだろうなと
感じてはいましたが

そんな私を感じ取って
いつも側に居たのに離れて行った子がいます

「この人には怒られることはない。」
「何をしても大丈夫。」
私がそう思わせてしまった子達です

私はこの子達に教えられたんですね
「変化すると状況は変わる。」
「変わろうと意識したら、いつでも変われる。」
ということを

子どもから伝えられる
言葉のないメッセージは
大人から言葉で伝えられるより
ダイレクトです

先に書いた
恐れの感情に対して『見て見ぬ振りしていた』ですが・・
フッと記憶がよみがえり
今気づいたことがあります

以前の職場での現状を
見て見ぬ振りすることが出来ず
公的機関に投書したことがありました

今だから理解できます
あの現状は
私自身の心に起こっていたことそのものでした

あの場に居たどの人も「自分」だったんです

あの人は「あの時」の自分・・
この人は「もっと以前」の自分・・
魂の経験値によって記憶に在る全ての「自分」という認識で
「自分」を感じるのです


自分が自分を「見て見ぬ振りしていた」

自分を大切に出来ない「自分」に
怒りを覚えていたのですよね

そうして
頑なに拒絶しながらも
唯一許したかった存在

それは
「自分」でした

「自分」に還る

昨年から
自己を高める必要を感じて
準備してきました

「選択したツールは正しかった。」
「進んだ先に間違いはない。」

そう信じながら
「なのに何かが引っ掛かる。何かが腑に落ちない。」

違和感を抱きながらも
「きっとこれがベストなんだ。」と
どこか自分に制限を掛けていました

わかっていたんです

そもそも
制限を掛けている感覚自体が
自分が求める領域への恐れでした

闇堕ちし、彷徨いながら自分探しの経緯は
コチラ→『自分を救うのは「自分」

顕在意識の抵抗に対して
魂は更に揺さぶり続けます

それでも目を逸らしていたので
自爆しちゃいました^^;

そうまでしないと
軌道修正が出来なかったんですね

堕ちるところまで堕ちたら
身をもって経験するしか道はありません

私の深い「傷」が理解していました

自分が癒すしかありません
自分しか癒せないんです

何度も何度もかすめては
目を逸らしていたそれこそが
本質であり
本性であり
生き甲斐であり

受容し
肯定して

求めてやまない領域に辿り着いた瞬間でした

暗闇を彷徨うさなか
「信頼」という
魂の繋がりを
実感しました

そこには
妥協も
依存もなく
形は存在しません

いつでも
「自分」しか在りません

覚醒を齎すのは「自分」なのです

すべては表裏一体

本質は同じなのに
自己表現は真逆を受け容れる学びを課題にしたのは
ワンネスを信じているからです

自分に還るのですね
「自分」に還るんです

寄せては返す波のよう

勤務時間調整のため、今年いっぱいはお休み多め。今日は仕事ですが、その前にちょっと綴ってみようかしら。

おかげさまで時間に余裕があって、自分に必要だなあ‥とか、これ好きだなあ‥ということにチャレンジ出来ています。

そうなの・・もしもあの時、前に進まなかったら、私に〝今〟はなかったなあ‥って、いつも思うのですよ。

私にとって〝見て見ぬ振り〟をすることは、自分に〝嘘〟をつくことで。それは自分への拷問でした。

子どもの頃、無条件に愛を注いでくれる‥それを疑いすら抱かなかった存在から〝嘘〟を強要された苦しみや、〝見て見ぬ振り〟された悲しみが、どれほど残酷か。その傷みを、私さえも見て見ぬ振りしていたのです。

出来るだけ触れないように、この感情が暴れ出さないように、子どもの頃から上手く閉じ込めていました。

数年前に身を置いた環境は、眠っていたその感情を刺激する場所でした。はじめからそうだった訳ではなくて、見せないように取り繕われていたし、私も目の前のことでいっぱいいっぱいだったのです。

ですが次第に〝見て見ぬ振りする私〟に抑圧された〝傷ついたままの私〟(インナーチャイルド)が泣きはじめました。

矛盾する〝顕在意識〟と〝潜在意識〟。

外側で起こる出来事は私を刺激し、それがサインとなって感情解放を促しはじめたのです。

人は、知らず知らずのうちに、さまざまな感情を背負ってしまっているのでしょうね。そして、なかなか気づきません。とても苦しいはずなのに・・苦しいからこそ〝心の声〟に耳を塞いでしまうのですね。

葛藤に押し潰されそうで、いよいよ崩壊寸前。落ちるところまで落ちると「もういいや!」なんて、半ば投げやりだったのか‥それとも空っぽになってしまったのか・・

思考フル回転しているうちは余裕がなくて真っ暗闇でしたが、潜在意識に揺ら揺らゆだねてみたら、手の内に光を見つけたのです。

解決策は至ってシンプルでした。孤独と疎外感は免れませんでしたが、後悔はありませんでした。どこか清々しささえ感じていましたから。

そして今から数ヶ月前、それまで築き上げてきた現実が崩れ落ちてゆくと共に〝その場所〟とはサヨナラしています。

私の役目はそこまででした。一切の関わりを絶ったのでその後は知りません。知る必要がないのでしょうね。

なぜかって、自分に必要な感情と向き合い、解き放つことが目的だったからです。

別の観点からこの問題に向き合おうとしていた人がいたとしたら、私はその人にとってはお題に火をつけて炎上させる〝脇役〟に過ぎなかった‥ということです。

私はたまたまその役どころが適任でした。この問題と向き合うことが、私自身の目的を達成するまでの過程に必要であったからです。

事実、火をつけたら1ヶ月後に立ち去っています。しかも、次なる目標を掲げて環境を変えています。

魂を成長させることが転生の理由なら、絶妙なタイミングで環境や状況、人に巡り合うように設定されているという訳です。

今回私は感情を昇華したことによって、次なるステージへと歩みを進めることが出来ましたが。

あの環境下において、その後もその場所で学びが必要な人もいるでしょう。誰かのサポートする役割がある人もいれば、今は抵抗している人もいるのでしょう。

すべては、自分が選んだ〝今〟です。必要であるから〝今〟に在ります。

〝抵抗〟は、気づけるまでの繰り返し起こる感情に過ぎません。

感情って、なんだか寄せては返す波のようですね。

ゆだねたら、きっと楽になります。

魂の観点から

先日の記事「インナーチャイルド 1.」 は、少々重めな内容になってしまいましたが・・今日は魂の観点から綴ってみますね。

魂は、今世生まれる前に、さまざまな計画を立てて、契約を交わして転生します。

私の場合は、両親のもとで育った環境がとても重要でした。魂の観点から捉えると、両親はとても辛い役割を担い、私の気づきを促す目的があったのです。

私には一種の衝撃が必要でした。本来誰しも無条件に愛されている存在でありますが、そこから浮上したものは〝闇〟でした。〝3次元に生きる私〟に闇を抱かせるのが、〝両親の魂〟にとっては、ひとつの役目だったという訳です。

〝私の魂〟は学びたくて望んだことでした。闇を知らなければ、光との統合は不可能だからです。

これ以上ない程に落ちてしまったとき、絶妙なタイミングで感情解放をサポートする人が現れたり。一見それが、どんなに酷く冷たい裏切りだと感じられたとしても、魂の次元では愛をもって背中を押してくれた人もいます。

ある人は、肉体という器から離れる時を目前にして、魂は永遠で在ることを教えてくれました。「pas á pas」

お互いが課題を乗り越える目的があって約束を交わし、今世出会っているということです。

計画はあくまでも計画であり、自由意思がありますから、その通りに事が運ぶとは限りません。躓くこともありますし、どこかで迂回することだってあるかもしれません。

ですがそれさえも、必要であるから経験します。

1度の経験で乗り越えられなかったときは、再び〝壁〟だと感じられる出来事や、そこから抱く感情の手放しに挑戦する機会が訪れます。今世クリアしなかった場合は、来世に持ち越して再び挑戦するという課題もあるのでしょう。

どの道を辿っても、そうすることがその人にとっての大切な学びの過程ですから、善悪を判断するものではありません。

これまでの私たちは、目に見える物事を判断してきました。それは永らくそのように受け継がれてきたのですから、致し方ないのかもしれません。

これからは、起こる事象を俯瞰することにより、気づく段階に在ります。見えないものに、意識を向ける次元に在るということです。

どちらかに傾くのではなく、すべてはバランスです。調和です。

そこに真実が在るのです。

感情を昇華する

「あれを失ったら何も残らない。なのに扉を開いて見ることが出来そうにない。」

近くに在るのに遠くに在るような。いつでも手を伸ばせば届くのに躊躇ってしまう。

この感情の根底に潜むものは「恐れ」に他ならず、怯える自分を理解しているというのに、見て見ぬ振りをしながら日々を重ねていました。

ところがある日、フッと「もう大丈夫だ。」という確信があって、この領域に触れることになるのです。夢の中を彷徨うみたいに、ふわふわぼんやりとした意識の中で扉を開いたのは不思議な感覚でした。

あれから随分と月日は流れたというのに、私の記憶は鮮明に蘇り、ですが淡々とそれらを視覚から受け取ってハートに落とし込んでいました。

あの頃はあんなにも抵抗していたというのに、悲しみや苦しみ、怒りを理解すると同時に、更に深いところに潜む真実を知ったのです。

「今この膨大な情報が消えても何も失わない。」と気づき、すべてを昇華しました。

真実は魂に在る。それだけで充分なのだと知ったのです。

失うものなど、何ひとつとしてありませんでした。

赦す器

そろそろシフトチェンジする準備が出来た頃、〝揺さぶり〟というのがあります。

「あなたの覚悟、本物ですか?」と言わんばかりに、乗り越えるべく1番弱い部分を突いてくる。

目を逸らすか、それとも向き合うか。選択が迫られるのです。

「すべては自由意志のもとである」というのは、宇宙のやさしさを感じます。厳しさでもあるのでしょう。

弱い自分を受け入れるというのは、自分を赦す自由を与えることです。

自分を赦せる人は、弱さに潜む恐れと向き合い、昇華させる強さを持っています。

その強さは、人を赦す器を育みます。

人を赦せず苦しいならば、何より自分を赦せずにいるということです。弱さと向き合う必要があるということです。

経験から見いだす積み重ねが「今」を創造します。

二極性

2020年は、物質世界にもハッキリとわかるほど、精神性を高く持つことが大切になります。

統合と分離、どちらへ向かうかは自ら選べます。

自己統合とは、潜在意識と顕在意識が一致しているということです。

ありのままを表現することは、これまでの自分にとっての世間の常識や枠から外れることになるかもしれません。勇気が必要であり生きづらさを感じることがあるかもしれません。築きあげてきた大切にしていたものを、手放さなければならないかもしれません。

ですが、自分が感じるそのすべては〝自分〟なのです。どのような選択をするにしても、自分の感覚を許せる〝自分〟で在ることが、何よりも大切です。

これからは、望んだ人生を具現化する人と、望みに蓋をしながら生きる道を歩む人が交わることがなくなり、自分にとっての生きる世界が明らかになります。

どちらの歩みも、それぞれの選択であり通過点にすぎません。必要であるから経験するのです。

自分に自由を与えることは、次元を上昇させることに繋がります。